さり海馬

Thoughts walk away, blog stays.

理性と感情の微妙な齟齬

このニュースを読んだとき、心の中にとても奇妙な感覚があった。


熊本市の慈恵病院(蓮田晶一院長)が、様々な事情で子育てができない親が乳児を託す「赤ちゃんポスト」の導入を決めた。「こうのとりのゆりかご」の名*1で年内にも受け付けを始める方針。病院側は「捨てられて命を落とす赤ちゃんや中絶せざるを得ない母親を救いたい」と説明するが、子捨ての助長につながるとの意見もあり、論議を呼びそうだ。

既視感のある感覚だな、と思った。ずーっと記憶を辿っていくと、思い出した。


(B)Frontloading & Backloading

注射器の共用が、IDUの間でHIVの感染爆発の起った原因の一つであることは疑いのない事実です。不潔な注射器の共用を防止するため、注射器消毒剤や清潔な注射器を無料で配布するharm reduction運動が、1984年にアムステルダムで始まりました。「注射器の共用を避け、清潔な注射器を用いる」とのメッセ−ジは、啓蒙啓発活動やharm Reduction運動を通じてIDUの間に次第に浸透しています(JAMA 1994, 271: 115-120)。

これと同じだ。根本対策が困難なので、緊急避難的に「マシなやり方」を選ぶという考え方。

最初にこの注射器配布の話を聞いたとき、「狙いは分かるけど倫理的にどうなんだ、それ?」と疑問に思ったものでしたが。

「産み捨てや捨て子をする人は子供なんか作らなきゃいい」という意見は正しいんだけど、それでも現にそうして死んでいく子供たちがいる以上、多少問題があるやり方でも、やらないよりははるかに良い、という考え方はもっともだと、頭では思います。

…ただ、どうしてこう、気持ちが落ち着かないんでしょうね。ひどく否定したい感情が沸き起こってくる。ひょっとしてこれ、私だけ?

*1:残念だが、この名前は定着しないと思う。きっと『赤ちゃんポスト』とか、ひどくすると『捨て子ポスト』と呼ばれるだろう