さり海馬

Thoughts walk away, blog stays.

坊さまは「死ぬな」と言ってくれるとは限らない


朝日新聞の記事では、東京大学大学院の末木文美士教授のコメントがあり、

「仏教界の動きが鈍い背景には、世襲制で多くは深い問題意識を持って僧侶になったものではないことや、そもそも仏教には自殺を必ずしも否定しない面もあり、この問題がなじみにくいことがある」

ということなのだが、これについて少し調べてみれば、浄土真宗東本願寺仏教用語のページには、こんな一文がある。

生と死のギリギリのところで、死の方を選んでしまったということでしょう。その選択を他人がどうこう言える筋合いはないと思います。ただ、その生と死のギリギリの選択のときに、「生」の方に重心が移るような手だてはないものかと思います。まあ果たして生の方が絶対によいのだという保証もないのです。

これを素直に読めば「自殺を選んだのはその人の勝手、生も死も、どちらがいいとも言えない」と読めるのだが。

あまり真剣に考えたことはないけれど、今自分が持っている知識の範囲で考えると、仏教って必ずしも自殺を否定していない気がする。言っちゃえば、生命に対する執着だって我執だもんね。

ただそれをもって「仏教は役立たず」みたい方向にいっちゃうと、それはそれで間違っていると思うです。