「痛いとうれしい」
毎週末に合気道の稽古に通っているのですが、先週末はたまたま体調が悪くてお休みにしていました(無理しないのも大事、とか言いながら)。今週行ってみたら、いきなり課題が二教と三教。ぐああ。
他所の道場はどうか知りませんが、うちの道場での稽古は、
- 先生のお手本を見せていただく
- それを大人が子供(だいたい小学生)に教える
- その後、大人同士(たいていは有段者v.s.白帯)、子供同士に分かれてその技を練習
という順序で進みます。*1
この3番目の「大人同士」ですが、できるだけ同じ人と被らないように、いろいろな相手と組むことを推奨されています。
で、教えていただく人によって、いろいろな違いがあるわけです。とくに二教*2や三教のように、関節を極める(「効かせる」と呼ぶそうです)ような技は、相手の技量が「痛さ」に直結します。
今回、がちがちに固まった身体だったわけですが、よりにもよって痛さで定評のあるI崎さんが相手でした。それがまた痛い痛い。形になってから痛いというのなら分かりますが、I崎さんの場合、崩しにかかるあたりからもう痛さの雰囲気がします(ああ、このまま行くとすごく痛くなるな、と分かる角度で入ってくる)。
ほんのちょっとした角度や握り方、体重の移動の仕方で、これほど違うものかということを身をもって知らされます。握りの位置が指一本分違うだけで、ぜんぜん効き方が違う。以前 id:gginc さんが「合気道は形の力」というようなことを仰っていましたが、確かにその通りだと実感しました。
あ、誤解の無いように言っておきます。「痛い」といっても無茶な極め方をされているということではありません。きちんと手加減して下さっていますので念のため。
で、こういう話を奥さんにすると「痛い痛いっていうけど、なんか顔がうれしそうね」って言われます。痛いのが楽しいというとまるでマゾみたいですが。どっちかというと「そういう優れた技巧が今目の前で開陳されているのを体験する喜び」みたいなうれしさだと思います。
以前にどこかで読んだ記事に「合気道バカの特徴」みたいな箇条書きがあったのですが、その中に「技を掛けられて痛いと笑う」ってのがありました。そーいう意味なのかな、って思いました。